おくさん
エロ同人漁ってたらかわいらしい作品を見つけたので
おくさんという作品がなかなか萌え萌えしてて面白いんで心にゆとりがないオタクの方は是非。
プリンに砂糖とはちみつとチョコレートを混ぜたような人妻日常作品です。8巻の飛べブラジャーは個人的には面白かった。ワケわからんセリフとワケわからん話構成だった。
あとまぁ、この作品がアニメ化とかされてヒットしたら二次元オタク界隈でアラサーヒロインブーム来るのではとか思ってる。
大阪と東京の移動の比較
僕は大阪在住なんですがライブや野球のチケットをもらったりすると東京に行く。
その際、どの交通機関で東京に行くかワクワクする。
そして今もまた東京にいるのだがそれについてのメモを書きたいと思う。
1.新幹線(2時間30分で14440円学割で12390円)
一番、オーソドックスな移動手段じゃないだろうか。
オーソドックスではあるんだけど値段が張るため学生には手を出しにくいと思う。
だから僕が使う場合は時間がないときや金銭的に余裕がある時という風にしている。
まぁ、こだまだけ使えるぷらっとこだま(こだまだと4時間)を使うのも僕はおすすめしたい。10300円だし。
使う際は前日までに予約が必須なので注意しておきたい。*1
2.夜行バス(8時間で5000~8000円)
これもオーソドックスなのじゃないのかな。
慣れてる人はいいが僕はあまり得意じゃない。足伸ばすことができないので寝付けない。
慣れてる人はともかく慣れてない人は高い金を出しても3列シートに乗るべきだと思う。
高いとバスの利点がなくなる気がするけどまぁいいか。
3.昼行バス(12時間で4000~6000円)
結構きついけど個人的にはこれがおすすめ。
昼のバス(僕の場合はウィラー)だとそれなりにいいシートも取れるし夜行に比べて安くいける。
ただ一日潰れるのが難点かもしれない。
あと地味に横浜~東京区間が渋滞するかもしれないので横浜で降りて東海道線や東急使うといいかも。
4.鈍行(18きっぷだとおよそ2360円)
僕はこれが好きだったりする。
昼行バスと同じで一日潰れるんだけど旅情を味わえて楽しい。
ただインターネットでよく言われているように静岡県区間は相当暇である。
なので暇つぶし道具や何か持って行った方がいいと思う。
あと上りで行く場合は島田で、下りは浜松で昼ご飯を食べるといいと思う。
浜松のは●うだとかいう店がおいしいとか。
5.サンライズ瀬戸・出雲(大阪→東京のみ7時間:11850円学割で10340円)
これもおすすめしたいが大阪からしか使用しかできないので注意。
下りは大阪を通過するため使用できない(関西圏の停車駅だと姫路に5時25分に止まる)
サンライズ瀬戸・出雲は東京~高松・出雲市を移動する夜行電車であり、大阪に0時34分に出発し東京に7時8分に着く。
指定席券でとれるノビノビ座席だが毛布がついていてちっさい個室のカーペットで寝るカタチになる。
イメージとしてはカプセルがないカプセルホテルというイメージかな?
B寝台やA寝台取れたら快適でいいんだけど結構高い*2んですよね、アレ。
6.LCC
使ったことないから使ってみたい。
試算したところ
東京~成田シャトル 900円
成田~関空 5000~8000円
合計で 6900円~9900円くらい?
日程にもよるけど6900円で一日潰さないならわりとアドバンテージがあるように思える。
僕が知る限りはこんなもんです。
僕は電車で移動するのが気が楽なので電車で行きます。もしくは昼バス。
逆に夜バスは使いたくないと思う。しんどいモンあれ。
2014年を振り返って
社会人が会社行きはじめたり大学が始まった時期に書くのは遅い気がするが去年2014年を振り返りたいと思う。
・回生が上がった
今年から2回生になった。
2回生になったのでタスクが多くなった。
しかし、タスクが多くなったとは言っても去年大学に通った経験があるため去年に比べたら精神的には楽だった。
まぁ、引っ張る立場になったからまた増えてしんどくなるんですけれども。
あと、後輩が入ってきたことであらゆることのモチベーションが上がった。
僕にとってこれが一番の+にだったことだと思う。
・いろいろなバイトをした
僕はあまりこらえ性がないので今年の春にコンビニのバイトやめてしばらくいろんな(主に大学内で)短期のバイトをしてたんだけど有意義だったと思う。
大学内と大学外だと当たり前だが対応客が違ってくる。その違いを実感できたのが僕の中では有意義であった。
まぁ、大学構内のバイトはクレームやウザったい客があまりないのでぬるま湯であると思うが……
・陸上
1500と5000でPBはきつかったけど大学ベストは更新することができた。
春先はあまりやる気はなかったけれど上記の通り後輩が入ってきたからモチベーションアップしてほぼ毎日練習するようになり大学ベストを出すことができた。
夏に風邪ひいたり冬の始めあたりに風邪ひいたりでそんなんばっかだったけど計画してた練習をそれなりにこなしてそれなりに収穫かな。
・オタク的な趣味
あんまりなかったりする。
アイマスのライブも楽しかったし上原れなのライブも楽しかった。そんなもんである。
アイマスOFAは育成ゲーム的なノリでできてまぁ、楽しいし。
あ、あと文化祭のオタク的出し物も楽しかった。今年は充実してた。
去年の思い出はいろいろあるがここらへんにしておこう。思い出してもきりがないのである。
嫌な思い出、楽しい思い出たくさんあるがブログでは書ききれない。
今年もいろいろなことを挑戦していきたい。そして、今年はどんな年になるのか楽しみである。
ちなみに今年の正月はあまりよさげではないと記しておこう。
お年玉もらったけど
美人が生みだすもの
僕があまりテレビ見ないから感覚の話になるんだけど以前に比べたら美人の価値がさがってきたと思う。
昔は目立つ美人*1はガンガン金が稼げたと思うけど、今はそこまで稼げるのだろうか?
なんでそうなったかというと僕は美人の希少性がなくなったからだと思う。
要は需要と供給のバランス。
美人が増えすぎて芸能界だけじゃ消費しきれなくなってるのでは?
でその結果として、AV女優や声優でも美人が多くなってきてるように思う。
AV女優で有村千佳とか初めて見たとき、ホントビビったもん。「こんなかわいい子がホニャホニャやってるのか……」で頭の中、グルグルなりましたもん。
声優でいうなら小倉唯がかわいいなって思った。写真で見たときはまぁ、かわいいなって程度だったけどでかいテレビで見たらちょっと胸がときめきましたね。
とまぁ、そういうかわいい子はたくさんいるんだけど結構サブなカルチャーにまで深く浸透してる気がする。
かわいい or美人というのは探せば結構出てきて、なんというか「顔がいい」ってだけでは売れない感じになってきてると思う、美人が増えすぎたから。
たとえば、AV女優なんかは「顔がいい+脱ぐ」、声優だったら「顔がいい+声優」みたいな感じ。
顔だけじゃだめだからそれになにかしらαが付属してないと芸能界で生き残れなかったりご飯食べていけなかったりするんじゃないのかな。
美人が多い世の中だけど当の美人本人にはあまり恩恵がなくなってるのだろう。
まぁ、そこまで美人ってことに頼り切らなかったらそれなりに、というかめちゃくちゃ使えるツールなんだと思うけどね。
社会においての三浦あずさの正体とは
本当に賢い人とは何だろう。
いい大学に行った人?それとも大学でいいGPAの人?
いや違うだろう。
賢い人というのは三浦あずさの正体について深く考察できる人のことを指すだろう。
なので今回は社会における三浦あずさの正体について考察したいと思う。
前提
三浦あずさはTHEIDOL M@STERのキャラであり、今回のエントリーはTHE IDOL M@STER(以下アイマス)での三浦あずさではなく、日本社会における三浦あずさの正体について考察していきたい。
ここで日本社会とは?といった言葉の定義に関しては話が終わらなくなるのでここでは日本に住む人々の集合体という定義でさせていただく。
今回のエントリーでは「三浦あずさ=A」という方程式において「三浦あずさ=A」のAについて詳しく書いていく。
つまり日本社会について三浦あずさとは何か?ということを述べる。
三浦あずさはどのようにして生まれたか?
まず、なぜ三浦あずさを取り上げたのかということを述べていこうと思う。
僕がアイマスのあずさでこのようなことを考えたのは僕が単にアイマスが好きというだけではなく、アイマスは様々なメディアに展開しており、長年にわたりコンテンツ維持*1がなされているからだ。
この「様々なメディア」は頭に置いておいていただけるとありがたい。
さて、三浦あずさはどのようにして生まれたか、という話だがこれはあくまで想像での話であるので一部おかしなところがあってもお許しいただきたい。
まず、三浦あずさを作り上げる過程においておそらく制作陣の中に三浦あずさを存在したら占めるAの一部、ここではaと設定する、そのaを一人ではなく多数の中に存在するaを抽出することから始まる。
その抽出されたaを制作者たちでさまざな肉付け、所謂設定を付けてAとは言えないがAに究極に近いA'を作り上げ、アイマスという作品に乗せて社会へ三浦あずさを伝えることになる。
つまり制作陣各々に内蔵されている三浦あずさの一部を抽出し統一され、それを具体的なモノをアイマスというコンテンツで表現していることになる。
そしてその三浦あずさを受け入れた人には各々に三浦あずさ、Aが抽出されたa'が発生し各々にそのa'が内蔵されるようになるだろう。
なぜ三浦あずさは人気なのか?
それではなぜ三浦あずさは人気なのだろうか。
僕は男女でその理由というのは変わってくるのではないかと思う。
まず、男性においてだがおそらく恋愛感情に近い感情*2、所謂「萌え」という感情をいだくのではないのだろうか。
これはオタクコンテンツ全般にいえる話かもしれないが、なぜこのような感情が生まれるのか?
三浦あずさを構成するA'もしくはAにせしめる「なにか」にかわいいという感情を感じてしまうのだろう。
そのかわいいと思ってしまう部分はAにあるように思える、かわいい……おっとり……胸がでかい……
書くとキリがないのでここで終わるが要は旧時代の女性らしさにかわいいと感じる男性が多いのではないか?
しかし女性らしさとは?という疑問が次に生まれる。かわいいや胸がでかいは女性らしさの要因になるだろうが女性らしさはかわいいや胸がでかいといったことにはならないだろう。
なので、先ほどは『Aに究極に近いA'』と書いたのだ。三浦あずさを構成する「女性らしさ」が不明瞭な物ゆえそうせざる負えない。
次に女性が三浦あずさを好きになる理由はなんだろうか。
だいたい好きになる理由は男性と変わらないだろうが憶測で申し訳ないがおそらくかわいいの内容が変わるのではないのだろうか?
たとえばさきほど男性は三浦あずさの「女性らしさ」という点に惹かれるのに対し女性はアイマスという物語においての線、つまり一連の流れでかわいいと感じるのではないのだろうか。
つまり女性はAではなく不完全なA'の中においてかわいいと感じるのではないのだろうか。
異なってくる三浦あずさ
さきほども述べたようにアイマスという作品は様々な形で作られている。
ゲームから始まりアニメやドラマCD、漫画など。
二次元コンテンツらしい展開がなされているように思える。
その中で一つ特異な存在がある。
それはアイドルマスター XENOGLOSSIAだ。
Wikipediaの引用で申し訳ないが
バンダイナムコゲームスのアーケードゲーム『THE IDOLM@STER』を「原案」としており、同作のメディアミックス企画「PROJECT IM@S」の一環として制作された作品であるが、設定やストーリーはゲームと全く異なる
とされている。声優や絵の感じまで全く違うのだ。*3
この作品は賛否両論であるが僕がよく聞くのは
「アイマスって名乗ってなかったらそれなりに楽しめた。」
という言葉だ。
同じアイマスを名乗ってるのになぜ拒否感が生まれるのだろうか?
アイマスにおいて新しいアイマスを制作するのに制作陣で具現化された三浦あずさ、およびアイマスのアイドル達を再び抽象化しまた具現化してそして社会へと送り出す。
XENOGLOSSIAにおいてはこれと同じことが行われてたと思うが、その具現化する際にがA’に捨てるもの、oを捨て、新しいもの、nを加え、それが結果として受け入れられなかったのだろう。
既存のコンテンツにおいて新しい作品を作る過程で既存のキャラに捨てるもの、oを捨て新しいもの、nを加えるのは必要であり、そのnを加えてもファンの中に内蔵されているa'にある程度適合させなければならないのだ。
計算式にするとA+n-o≒a'にしなければならない。
XENOGLOSSIAにおいてはそのnが余剰すぎかつ捨てたoが必要な物であったため、アイマスファンの中で消化しきれなかったのではないのだろうか。
これらのことからわかることだが、三浦あずさ、およびAは常に変化しうるということだ。
その変化は止まることなく常に行われていることになる。
つまり、Aをせしめるものが変わりに変わりそれゆえもう三浦あずさをせしめるものを特定することはできなくなっているのではないのだろうか。
かつての三浦あずさの正体を知るにはかつてのアイマスをやればいいが(それでも不完全なA'だが)、今の三浦あずさではない。
しかし、今の三浦あずさではないにしても過去の三浦あずさであることには間違いない。
この過去の三浦あずさの存在がより今の三浦あずさを明確なものにしより複雑な者にしているのだ。
ベースA’から制作者に捨てられたo、そして新しく作られたnにより今の三浦あずさを作り上げられた。
よって今の三浦あずさの輪郭を知るにはA’から何が捨てられたのか、そして何が新しいのかを知る必要がある。
そのoとnは普遍的な物ではなく個人それぞれが内蔵されているa'によって認識が変わってくるため、それらを特定することは不可能に近いだろう。
つまり三浦あずさとは不確定である。
社会における三浦あずさとは?
ここで確定していることは延々と書いておきながら三浦あずさは不確定な存在でありあくまで概念であるということしかない。
その不確定な存在であり概念のまま社会における三浦あずさとは何なのかということを考えなければならない。
三浦あずさは不確定なものであり、その社会において証明を為すには三浦あずさを知ってる個人個人からa'を知る必要がある。しかし、そんなことはできるはずもない。
それゆえ不完全ではあるが個人の中にあるa'から立証する孤独な作業をする必要がある。
そこから立証される三浦あずさとは何か?
それはあくまでイメージであり、存在はせしめても実存しえないものであるということになった。
つまり、A’をAと足らしめるものを知りえない限り概念から脱出することはできないのである。
概念であるならば我々は三浦あずさと邂逅することはできないし可視*4することもできない。
だが、概念であることはよくないことなのだろうか?
概念であることの利点は概念がある限り生き続けるということだ。
たとえアイマスがなくなっても記憶媒体がある限り不完全なものであるが存在することを証明することができる。
そして記憶媒体がなくなったとしても人々に内蔵されたa'があり続ける限り、内蔵されたa'がなくならない限り三浦あずさは生き続ける。
結論
三浦あずさは概念。
どうだろうか、この長文。
この長文を読めば僕が賢いと分かるだろう
って書こうと思ったけどやめた。
眠いし賢い人間はこんなことに3400文字近く書かないだろうしもっとスマートに書けるだろうし。
まぁ、割と楽しく書けました。
シーズン終わり
今週の日曜からだが今週の日曜日に1500mを走って僕自身のシーズンは終わった。
書くのが遅くなったのは終わった後、風邪ひいて寝込んでいたからだ。
なぜか僕は毎年風邪をひいてしまう。今年は1500が終わった疲労からきたんでしょう。
話は置いといてとりあえず今シーズンの試合は終わった。まぁ、クロカンとか駅伝出るけども。
今シーズンは個人的にうまくいったと思う。もうちょっと記録は伸ばしたかったが狙ってた記録が出せた。
来シーズンはもっといい記録を出せるようにしっかりと冬は練習していきたい。
冬季の目標は5000mを走れるスタミナをつけること。
それを1500mに繋げていきたいなと。
細かいスピード練習はとりあえず2月終わりからやろうかなと思ってる。